選挙の批判と欠点。抽選の長所と民主政への適応性

#不正選挙、#憲法、#国民投票


アテネの
抽選の道具ピナキア札 

 

ピナキア札とはアテネの抽選で使われる小型細い銅板で、市民の

識別に使われ、
そこに名前、父の名、行政区など彫られていた。


古代アテネで陪審員を指名する時などに用いられたボードの破片。

これは抽選で公職者を偶然に任命するために
クレオテリオン
(
kleroterion)という抽選機に挿入された。

 

 

このような制度は陪審員が買収されたり、ある部族出身の者達に
独占されることを防ぐために使われていた。

抽選の時には、
皆がその周りに集まり誤魔化しがないか見張っていた。

 

アテネの議会が実際的にどのように機能していたか、任務に指名された
場合にはどうするかを少し説明する
一例をあげると

 

例えば、OGM(遺伝子組み換え作物)に関して、まず最初に我々は
それに関しては何も知らない。

人々は
仕事にかかる。情報収集、読む、意見の交換、各自の考えを

討論する、専門家を
来させて聴く、このようにするうちに、

次第に人々は専門知識を
得ていく。

 

例えば、陪審員の市民議会の経験では、人間とは信用するととても
早く変わる
ことが分かる。
 

 

トックビル(アレックス・クレモン士爵、1805-1859)
フランス革命、アメリカの民主主義、そして西欧の民主主義の
変遷などの分析で有名だが


彼は、
いかに抽選されたことで人々適応するかを述べていた。
 

民主主義において、表現の自由、発言がいかに重要であるか
アテネ人の「決定」に関する考え方に現れている。
 

アテネでは、決定が正当であるには、【発言を全てのものに与えること、

もし中に
は異端派の意見で、もしそれらが妄想的、馬鹿らしい、風変わり、
同じく危険であっても。

このようにして全ての者に、全ての意見に機会を与え
とことにより、

公的な決定は正しく明確にされる】
 

 

危険な意見に討論の場を与えることは重要なことで、人々の目前に

危険な意見を晒し、危険性を証明することで
これらを削減できるからだ。

 

または、スイスの例を挙げると、

スイスは小郡で
直接民主を実行している。

小規模であるが、その
地域で取り扱えないことを上層レベルに任せる。

これは
補完:シュブディディアリテ(subsidiarité)と言い、

地元で取り扱えない全て
で、実際にはほんの少しを上方に通過させる。


さらに、上方の議会
国会に代表として送る者たちは監視される。

 

このようにして、抽選は最良と思われる。

民主政は代表政府のような大きな規模にもよく適応できる。

 

 

    




「選挙」の批判と欠点
抽選の長所と民主への適応性

 

 

      選挙の批判と欠点 

 

アリストテレスこう言った。 
 

「至る所で、金持ちは少数で貧者は多数であるから、

民主主義と寡頭主義の
本当の違いは富と貧困である。

だから
必然的に指導者が少数または多数にもかかわらず

富により権力を施行する政体は
寡頭政治である。

もし、貧しい者たちが統治するなら、それは
民主主義である。

 

 

理論的に、この200年間、共通の利益のためという名目と、

面倒
で複雑なことは人民には無理なので、人民の代表者が

これらを
引き受ける。

人民に自由な時間を与える
いう口実で立法者と行政者

候補者から選ぶ選挙》と普通選挙》で最も優秀な者たち

貴族-アリストイ
を指名してきた。 


 

この候補者の中から選ぶ選挙は、

有権者に代わって
全ての法律を制定する御主人になる代表者(議員)
製造する。

議員は有権者に代わって全てを決定する


選挙
は有権者から主権を奪う。 

 

これが意味することは、人民を一種の政治的子供である

言葉を禁止された子供
という下劣な有権者の地位におとしめ、

政治的な無力
を作る。 

 

このようにして、最も多くの人々を意図的に、長期的に、

政治的決定から
遠ざけることは公共の利益に反する。


より良い決定は一人の
者または少数の者達よりも、人民議会の

方が
良いと言う多くの思想家もいる

アリストテレス
が言うように「討論は、人民と名士

これらの者と群衆
がより良い結果を出す」 

 

選挙は人民を子供扱いにし、無気力にし、無責任にする。

政治が分からないので自分たちには無理、できないと思わせる


人々を政治から遠ざけ単なる見物人にする。

 

選挙は教育学的に市民を従属させ、忍従の見習い

有権者を支配され
た諦めた者の役割に閉じ込める。

 

選挙は役目の回転を妨げ機械的に政治のプロ化と政党の形成を産む。

これらは世界中どんな時代にも確認できる。

 

選挙は最低の者達権力に据える。

人民に
代表者議員が必要だと認めたとしても、選挙では頻繁に

最低の者達を権力に
つかせる。

 

 

選挙は権力を欲する者に権力を与える。

 

我々はアテネ時代である2500年前から、

権力を欲する者に
権力を与えてはならないことを知っている。

 

プラトンもこれに関して言っていた。

 

「最低の悪は権力を欲する者に占領されていることだ」

 

「正しい人間のもっとも外面的な特徴は、他の人間を統治すること
を望まない。

自分だけを統治することで満足している。これは決定的である。

最低の人間が
統治すると言える」


 

 

また、選挙では、

権力の座に至る
ために、

彼らの能力と動機を全て
選挙闘争に注ぎこみ

この能力は権力を執行するために必要ではな
いので、

このような権力を欲しがる者に与えるのは
良いことではない。 


 

選挙は嘘をつかせ、嘘つきに優位である。

詐欺者の出現を許し
、これらの者達の全才能はどのようにして
国民を欺けるかに集中する。
 
 

 

ある意味で、選挙とは権力を嘘つきに与える
 

 

最もうまく嘘をついた者が選ばれる。

選挙は嘘を増長させる


任務前に選ばれるため
嘘をつき、

任務中に嘘つき、

任務後にまた再選されるために嘘をつく。

 

 

だから候補者の中から選ぶ選挙》は

機械的に常に嘘を
つくように励まされていると言える。

 

選挙は市民がコントロールできない御主人を作る。

選挙
では、

信用と
コントロールは代表者(議員)が指名された時点でだけ成り立つ。


選挙されたという結果により、最も優秀な者が選ばれたという
意味上、

任命中、任命後
それ以上コントロールすることを思いとどませる。

 

 

再当選できないというコントロールでは不十分である。
 

 

この事実上のコントロールの欠陥は議員の汚職を可能にさせ容易にする。

コントロールが選挙という形は共通の利益を保護しない。

 

選挙は市民がコントロールできない政治家カストを作る。 
 

 

全ての会話、全ての調査、最も多い批判などの中で、

最も多い深刻なものは
政治家のプロ化である。


この職業化
は避けることができない選挙の結果である。


意図的
少数リストの候補者と候補者の誘惑テクニックが常に
上手くなる


有権者
常に安定しているなどの理由で幾度も同じ者を再選する
ことになる。

 

選挙は政治家カストのために

他のもっと多くの政治的アクションを奪い


政治的平等を否定し、政治家カストの独占を産む。

 

選挙は金持ちが決めた少数候補者を資金的に援助でき、

それにより
権力を金持ちに与え、結果として寡頭政治を実行させる。

 
誰かに沢山の借りがある人を腐敗させることは容易だ。

しかし、
抽選のように何の借りもない人間を腐敗させることは難しい。

もし、自分たちに都合の良い候補者を
援助できるなら金持ちは確かに
するだろう。


このようにして、

援助された議員は容易に負債者】になる。


故に、恩恵
者の個人的利益の使用人になる。

彼らにとって、
選挙資金と再選挙資金に恩恵者の存在は
絶対的に必要である。

 

実際に、候補者達の援助はどのような形で行われているのか。

金持ちが所有しているテレビ、マスメディアを使い、

候補者を美化し
頻繁に見せる。

罠のない容易な質問しかしない。

彼らの競争者たちをメディアに招待しない


新聞、テレビ
ラデオ論説者、専門家、調査研究所などの

マスメディア
全てこのような仕事が金持ちの候補者
有利になされている。

 

今日、全ての新聞、雑誌などは少数の銀行家と企業家
武器商人に属する。

そして、テレビ、ラジオはそれらから情報を提供されている。

 

故に、候補者の中からの選挙買収を許す。 

 

これらは最も大きな許されない欠点である。

 

このようにして、社会団体のうちで最も富める者たちが

候補者の中からの選挙権力を維持できる方法を見つけ、

彼らに有利
な権利を作ってきた。

 

 

この権利資本主義または寡頭政治(金持ちによる金持の政治)とも言う。 

 

議会、政府、裁判、刑務所、警察・・・などの全てのピラミッド構造は

選挙で指名された立法者
からなる。

選挙に指名された議員たち
によりピラミッドは作られているのだ。 

 

 

このシステムこれらの者達にとって個人的な利益になるのだ。

しかし、これは公共の利益には全く関係な
い。 

 

 

また、選挙は勝利するために政党を必要とする。 

 

政党は軍隊的規律で運営され、政治活動家に服従を要請し、

集団的情熱を動員させる。

だいたい一年に一度は
選挙があるので一年中つねに
選挙キャンペーン状態にある。

候補者は
政党の政治活動家の群れである軍隊を動かす。

そこには一列の
政党特有の政治思想、教義、秩序、階級意識

違う政党への憎悪がある。


党全体が
政権に到達することが唯一の目標になる偏執状態に陥る。

 

このように政権に到達することが最優先の目的になるので

共通の利益を追求しなくなる。
 

 

政党は選挙に勝つだけに役に立つ。それだけである。
 

 

政党という巨大資金融資ができない普通の市民(99%)には

選挙に立候補しても
当選のチヤンスはゼロに近い。


故に、選挙とは民主主義と
は程遠いものであることが明白である。

 

 

選挙が民主主義というならば、

この点から考えても嘘であることが分かる。

 

選挙がない政治体制に政党が存在したことはない。

資本主義が
必要とする選挙という選択が我々に政党という

惨禍を
余儀なくしている。

 

選挙とは実際に市民を政治的に子供にし無力にする猿ぐつわである。

故に
選挙とは全体的に、経済的に、社会的に、

最も多くの人々に
公共の利益を守ることを妨害する。

 
 

この200年間、選挙は常に有力者の議会を生産してきた
ことが確認される。
 

 

彼らは社会団体を代表していると主張するが絶対そうではない。

彼らは極端な特権者である。

世界中に見られるように、議会における労働階級の存在は微小である。

毎日見られるように、議員たちが自分に与える優遇は数知れない。

 
 

選挙はむしろ地域的代表者に適している。

近隣の関係でお互いによく知り合っている
選挙は市町村の

投票に向いているが、
実際は、国レベルは適応しづらいのである。


抽選こそが
地域的投票、国家レベルでの投票、

市町村連盟での任命に向いているのである。


今までは、これと反対のことが言われて
たが間違っているのである。

 


 

 

抽選の反論とアテネの民主政治の批判

#不正選挙、#憲法、#国民投票



 
 抽選の反論とアテネの民主政治の批判 

 

民主主義思想を守る時、2500年前のアテネは素晴らしかったが、
反論が常に戻ってくる。

最初の反論は、

知っているのか?

アテネの民主
主義は奴隷制度だった。

奴隷主義を擁護するのか


いや。奴隷主義を擁護
するのではない。

また、同じく
それは男尊女卑の制度であり、

その制度は全ての女性を遠ざけていた。

人類の半分が政治から遠ざけられていた。

これを全く擁護する気はない。

しかし、この時代には女性は
遠ざけられていた。

世界中でそうだった。

これは代表政府制度
の後も長く続いた。 

 

今日、これらの女性達全てを加えても、アテネの民主政治機関
はとても良く機能
する。

これに対する反論は有効ではない

 

また、アテネ人は外国人嫌いで、居留外国人には何の権利も
与えていなかった、という批判もある。

しかし、全てを混同しないこと


あの時代には
、市民はどんな人間でも受け付けなかった。

だから、金持ちをこさせて
安心していた。

彼らは問題なく彼らのビジネス
だけをしていた。

裕福な外国人をこさせても、その引き換えに権力を与えなかっ
のだ

外国人はそれをよく知っていた。

ビジネスのために来たので問題は無かった。

 

今日、我々は外人にも権力を与えている。

アテネの民主政治が女性、外国人、奴隷達を
遠ざけたから
現在の民主主義には適応しない
と言うのは真実ではない。

あのアテネの時代にはこうだったのだ。

奴隷制度は世界中にあった。

故に、これらの反論は
、貧者のところで200年間続いた
民主制度の良さを消せない。
 

 

大部分のアテネ人は貧しかった

今日のように、金持ちよりも貧しい者
のほうが多かった。
しかし、貧者たちが200年間統治した。

 

今日、我々は金持ちが大概の権力を持っていると確認する。

これは、ますます多くの特権と不平等を
作っている。

金持ちはますます多くの
権力を持つ。

金持ちは18世紀末、19世紀、20世紀
初めに権力を取ることに
成功した。

現在それは
拡張している。

気狂いじみている。

何の限度もない。


 

 

現在の普通選挙は偽の普通選挙である

 

 

本当の普通選挙は直接民主制で市町村レベルとそれらを繋ぐ


市町村連盟の中に存在する。
 

 

我々が普通選挙金の小判のように擁護しているうちは、

偽の普通選挙である。

本当の
普通選挙は、

大きな議会で、大きな劇場で、市民館で、みんなが来て、

我々は
我々に興味のあ問題隅から隅まで話す。


そして投票する。

これが
本当の普通選挙である。

それは各市民が集まる議会で行われる。
 

 
 

そう

可能ではない
だろうか。

我々
日本人は1、268億だ。

アテネでは
万人だった。

アテネ市の大きさは実際的には現在の市町村の大きさである。

すでに沢山の市町村機関があった。

我々は市町村
規模で集合して一緒に働く必要がある。市町村連盟

のような大きな規模で、大きな病院を作り、大きな公共のサービス、

etc、
を作ることは不可能ではない。

 

 

プリュドム(ルネ・フランソワ、1809-1865)は社会科学の
唱導者
連盟の形(自主管理)を提唱していた。

すでに
よく知られていた政治の現実主義、よく調整された「連盟
と呼ばれるもので
ある 

プリュドムは連盟をよく研究し
ていた。

権力をどのように
良く直接に行使するのかを書いている。

 

 

市町村で取り扱える全てのことを、我々自身で直接に取り扱う

市町村の議会はそ
望んでいる】

 

 

本当の民主政では、

代表者に最小の権力
与えるために抽選で決める。

しかし、ほんの少しはある。

正確にいうと、
彼らが我々の奉仕者であるために、

ほんの少しの権力を与える。

民主政で、

市民が権力を持つためには当然抽選である。



議員に権力を
与え選挙のようなものではない。

 

 

しかし、抽選を人々は恐れる。 

しかし
。そうではない。全く違う。

 

民主主義とは、全体の人々を信じることである。

みな一緒になっ
検討する。

見識
ある討議、討論、公の反論の場で

正確にいうと
意見の対立は民主主義の基本的な要素である

反論の場を設けるということは
、これらの決定はしばしば
代表政府よりも卓越している。

 

 

汚職と金持ちによる選挙の買収 

 

議員たちは、彼らの選挙キャンペーンを融資した者に縛られて、

または
現在の権力を与えた者の命令に従い、未来の再選のためを考えて、
全ての圧力グループやロビーが周りを回っている。

 

だが、民会の市民議会を買収することはとても難しい。


しかし、いくつかの論争がある。

ある者は
「いや、抽選で任命された公職者を買収することは

とても容易である」と言い、

そこには議論の余地が
あるが

全ての公職者の一団を買収することはとても難しい
と思われる。

何故なら、常に
清兼潔白な人々がいる。

さらに、内部告発者もいる


故に代表政府以上にもっと複雑にな
る。

 

アテネでは金持ちが権力に近づけないように沢山の

「権力に対抗する」方法を発明
していたが、

旧体制(アンシャン・レジーム)と同じような
現在の代表政府は、

電気会社を買ったり、議員
を援助したり、

政治のメカニズムを応用しながら、

借金(恩義)の
メカニズムで

最も金持ちの商人が
人々を買収することを可能にし、

金持ちが権力
を買収することを許す。

彼らの従順さを買収する。

これらのメカニズムが最終的に彼らに権力を与えるの
だ。 


資金調達は彼らにとって何でもない。

金は腐りすぎるほどに
あるのだ


彼らが買収する以上に、

彼らが融資をした
後にもっと多くの金が入ってくるからだ。 


 

 

資本主義は代表政府により可能になった 

 

フランスではテルミドールのクーデターで
(フランス革命暦
7月26日1794年)その時の代表政府
政治権力を金持ちに与えた
ことは、フランスの歴史上前代未聞であった。

それが資本主義の発展を可能にした。


19世紀、20世紀
と200年間の代表政府が正確に代順に
資本主義の時代に相当する。

 

もちろん、最初の発芽をそれ以前に感知できるが、

それでもやはり資本主義の全能であり
資本主義の三つ子である

金持ちによる貧しい者たちの虐待、完全な弾圧、100%の」

は同じ時期に相当する。

資本主義と代表政府は
ツインである。

 

テルミドールで、

最も
重要なフランス革命者であるロベスピエールの暗殺で

人民自身が選ばれた
者になる
という最初の
フランス革命者たちの夢は終わった。

直接民主政】始めたのだが、

テルミドールのクーデター
が、その夢を殺した。

テルミドール派
こそが、

革命に反する代表政府の始まりであった。

資本主義は代表政府により可能になった。
 

 

 

   

学校で偽の民主主義である選挙=民主主義洗脳され 

【抽選】は絶対教えられなかった。

 

 

我々は学校で

「選挙は民主主義である」と頭に叩き込まれ、

抽選」に関しては何も学ばなかった。 

 

「普通選挙」は

単に我々の
御主人である金持ちのためにあった。

これは
私が値する市民のレベルから、

下劣な有権者のレベル
に落ちていること

を意味し
主権があるはずの人民にとって侮辱的なことである。 

 

今我々がしなければならないことは、

これを
もはや「民主主義」と呼ばないことである。 

 

資本主義を可能にし、
厳密に反対の意味を持つ政治体制を
民主主義と呼ぶことを止めることだ。

 

何故なら、選挙が続くかぎり、我々はこの状態から抜け出ることはできない

 

 

金持ちは選挙を重視する。

なぜ、選挙を重視するのか


なぜ、全ての国会議員は選挙を重視するのか


なぜなら、彼らは
みな選挙では何も心配することはないと
知っているからだ。

 

選挙で約束が守られたことはない。

我々は目覚めなければならない。
 

 

フランスの場合

フランス革命で旧体制(アンシャン・レジーム)から出たばかりで、

選挙により、御主人(議員)を指名し、
さぁ、これでよくなる、

と考えたことは理解できる。

しかし、この200年間に渡る
経験の後で 


 

抽選のためにアテネの民主制が保護した機関

#不正選挙、#立ちあがれ日本人、#安倍政権、#年金、#nhk_news





ドジマジ
(Docimasieとはコントロールを行き渡らせること

 

マジではコントロールは行き渡っていた。アテネ人はお互いを
用心していた。

彼らは彼らが不完全であることを知り、可能な限り
不正直であり、
高慢、権力が欲しい、ことを知っていた。

 

 

とても実用主義的に、全然理想的ではなく、偽りでもなく、

彼らは自分自身の
不完全さを受け入れ、徐々に人々にほんの

少しの権力を与え、
絶対に権力の再任を許さず

日常的な狭いコントロール下に
おいた。

 

 

アテネでは全ての抽選された者や公務員は皆ドジマジという
試験にかけられ、説明をしなければならなかった


 

 

もし、満足しないなら罷免にする、任命前に試験にかける、
などのコントロールがあった。
 

 

民主主義のシステムが疑念にあるかのように、コントロールが
いたるところに設置されていた。
 

 

これは、代表政府よりももっと大きい形態の機関に適応できる。

何故なら、抽選で選ばれた欧州連合で、議員が
他の抽選で選ばれた
者たちから常にコントロールされるのを想像して見ることである。
 

尋問できる、罷免できる、説明する、一般の利益に反した場合に

罰することができる、
などのことが現在の我々をどれ程保護してくれ
たことか。

 

彼らが選ばれたから信じろという現在のシステムとは何か。
 

皆さんは今、大臣たちが何をしているか知っているだろうか?

 

大臣たちが閣僚会議で執行政権が法律を書いているのは、

それだけでも恐ろしい
ほどに三権分立に違反しているのだ。


大臣が自発的に立法者になり、大臣が全てを書いているのだ。

 

もし、皆が選挙の規定を議員に書かせるなら、白票問題を
思い出して欲しい。

人々が議員の詐欺を知っているので投票を思い留まる


もし、半分以上の棄権があり抗議があっても
、議員たちは白票に

関して皆と共に
法則を書くことはしない。

無視している。


白票を数えただけでは何の拘束力もない。


 

我々は彼仕事の邪魔になる法規を書けと要求できない。

何故なら、彼
は絶対しないからだ。

にはできないからだ。我々は彼を恨まない。


単に彼らが書くのではないと言うことだ。


 

ロベスピエール(マキシミリアン、17581794)

1789年
の憲法制定議会の主要人物は、1789年に同僚の
制定者たちの前で素晴らしい演説をした。

 

『我々はこうしょう。我々は我々のために法規を書くのでは
ないということをフランス人に言おう

 

彼は彼らが憲法制定者でありヶ月後に彼らが制定した機関の
立法者になることをよく知っていたのだった。

そして、ロベスピエールは最上の演説をした。
 

 

『我々が純粋であると言うことを証明しよう』

 

 

このようにして、彼ら自身が選ばれないことに投票した。
 

故に1891年の制度は彼ら自身のために書かれなかった。

 

 

と言うことは

 

【私は公共利益に関する正確な概念を持っている。


私は公共の利益のために働く。

私は
公共の財産に献身するであり立候補する


私が議員になった時は
、私は選挙の立候補者であり、

権力の
立候補者であるので、憲法を書くことを断念する。


何故なら、私は
同時に裁判官と裁かれる者であり、


利害関係の衝突状態にあ



だから、私は
誤魔化す傾向に陥り、世界中の憲法が全部


議員や彼らが属する政党により書かれたことを示すように、


人々の無力を組織しているからだ】



 

 

抽選のためにアテネの民主政が保護した機関 

 
イゼゴリア、発言権
 

➖ボロンティア 
 

 ➖罷免
 

➖説明義務、説明責任 

 

 

 

第一のコントロール   発言権(イゼゴリア)

 

アテネの民主政治の抽選で最も重要な支柱は、

イゼゴリア
だった。 

 

これはどのような市民にも発言権(isegoria)があり

動議を提出できた。

発言の自由は直接民主政
特有のものである。 

 

イゼゴリア、これは全ての者の発言の権利である。

これはとても重要



何故なら、以前には異端の意見は
虐待されていたので、

寡頭
制度は恒久的な寡頭主義傾向にあり

寡頭
政治になる危険性があることをアテネの民主主義者
は知っていたからだ 


故に、イゼゴリアとは各市民が
見張り番であること。

そして、各市民が民主政治を監視し、もし寡頭的行動が見
られる

なら
皆に警報を出すことができる。 

 

 

 このイゼゴリアが今日の我々に必要である。

 

全ての者に発言権を与える。

それがもし、誰かが偏執狂であまりよく発言できなくてもいいのだ。


誰かが馬鹿げた発言をするかもしれない。

それでもいい。

話し合いはそれでも進んで行く。

誰かが上手く話せない、

他の者が
それを知らせる、誰かが叫ぶかもしれない・・・・

大したことではない



彼らには発言の権利がある。


【イゼゴリアは本当の民主政の基本的道具である。


総て
の者の発言権である】 


 

アテネ人は自分たちを怖がり用心していた。


それで彼らは
抽選者を任期前、その期間、そしてその後、

を監視する
ための一列の機関を制定した。


これは容易ではなかった。
 
 

まず、第1のフイルターボロンティアにより、

酷い人間、愚劣な者
、不正直な者を遠ざけた。


ボロンティアは参加したくない者たちを
フイルターすることに
役立った。


もし、誰かがやりたくないなら
、、

強制しても駄目な仕事をするだろう、仕方がない、

と言うことであった。


 

 

アテネの民会(エクレシア) 

 

古代ギリシャのアテネ民主政における、市民全員が参加する

議決機関
であり、

市民権を持つ市民が
直接参加する市民総会最高議決機関だった。


これはアテネの民主政の特徴である
市民による直接民主政であり、


そこで
重要な政策、外交問題(戦争や講和)、裁判などが行われる
最高議決機関だった。 


 

アテネでは、朝からおよそ2000人くらいの人々が民会に
出席していた。


献身的な人々がいた


これらの人々は支払われていた。

しかし
あまりよく支払われていなかった。

労働者の
同じ支払いだった。

 しかし、支払うことは重要であった。

彼らは休むためにも来ていたり、
代表の任務のためにも来ていた。


権利を行使する
のは彼らではなかった。

 

彼らは議会の出版を準備したり、議題を作ったり、

警察をした
していたが、決定をするのは彼らではなかった。


決定は議会がした。


しかし、議会はこれらの決定を
実施する者が必要であった。

故に抽選された者
たちが秩序維持をしていた。 

 

毎日、裁判官が抽選された。

180人の抽選
された者のグループの前で一人の抽選で任命された

者が
任期の説明義務をする時には、数百にものぼる裁判官がいた
(改良できる)
 どのような者でも抽選の対象になった。

もし
望まない者がいても。


しかし、ボロンティアとは、

「以前、私は望まなかったが、しかし、引き受ける」

と言う意味もある。


 

プラトンの時代から、

「権力を
欲しがる者には権力を与えてはならない」

と言われていたが、


誰かが頻繁に権力を欲しがることは悪い
兆しだからだ。


 

そして、権力を望まない者が、

もし抽選で指名されたなら引き受ける


あまり喜びではないが、まぁ引き受ける


そして彼らは引き受ける、何故ならこれが習わしだからだ。


 

アテネの時代と比べると、そ当時は現在のようではなかった。


今日、議員には沢山の報酬があり、スター扱いで、

記者がマイクを差し出したり、彼らだけが話せ、

社会的にも彼らは頂点に
いる。


一般の利益以上に沢山の個人的特権、個人的利益がある。
 

 

アテネの時代には、朝、抽選に来ていた者たちは皆ボロンティア
だった。
 

 

 

第二のコントロール  オストラシズムは、抽選された市民の追放

 

これはオストラコンと呼ばれる陶片に名前を記入して行われる

陶片追放、オストラシズム
と呼ばれる


この弾劾裁判は、

アテネ
の民主政治の一つの手段で、

すでに
前5世紀に法治主義の原理が成立していた。

 

これはアテネの民主政で、

民会による
抽選で選ばれた公職者を裁く制度であった。


これらの職務遂行にあたり、不当な行為、汚職、

反民主的行為などの疑いがあった場合、

市民の訴えを受けて弾劾裁判にかけられた。



この制度は
、陶片追放とともに独裁者の出現を防止すること
重要な役割を担っていた

これは民会といえども
違法な決議をすることはできない、

という
法律を優先させる法治主義の原理であった。


 

また、アテネで行われた、独裁者になる恐れのある人物を投票

によって
追放するという追放制度もあった。

この制度により、市民は
独裁者になる恐れのある者を投票にかけ、

投票数6000
に達した者を10年間追放することができた。 

 

オストラシズムの名前はオストラコンから来ている。

追放すべき人名を書いて投票するということは、

当時のアテネ市民は
一般に文字が書けたことがわかる。 


 

この制度はあくまでも独裁者の出現を防止するためであり、

罪を裁くものではない。

 

この陶片追放はとても重要であった。

オストラシズムはこの人間は
怖いからいらないということを許した。

オストラシズムの
発動とは、誰かがそれを決定した時、

各自が
陶片に恐れる者の名前を書いた


そして
広場にある手すりで囲まれた投票の場所に行ってそれを
投げ込む


その後、数え始め、最も多くの
票を集めた者が十年間の追放に処
せられる。

 

故に、オストラシズムは最も恐れる者たちから保護する方法で
あった。


 

 

今日、我々には怖い者から保護する方法がない。


 

 

アテネ人はこのようにして保護する方法を探し、
お互いを用心し、安寧な社会
を求め不和を避けていた。

皆を怖がらせる者を遠ざけるということは


不和を避けるということでとても重要であった。

 

 

第三のコントロール  免職

 

このコントロールはアテネ人が公職者に満足していない時

にこれらをいつでも免職できた。

これはとても重要で安心できた。

抽選
するが、その後その者が良くないと感じる時は議会で

の投票後
いつの時にでも罷免できた。

抽選での
任命を常に修正できることは安心できとても重要である。 

 

これは任務の最中に起こることである。 

 

 

第四のコントロール  公的な説明義務

 

任務の終わりには抽選で選ばれた公職者は任務中の説明をしなけ
ればならなかった。

これは
全然形式上のことではなく、

説明責任は一年もかかる時もあった。
 


 

このようにして、これらの保護機関は議会で人や議会での決定

までも再検討
でき変更が可能であった。

 

今日に、我々の代表者を信用していないので、

彼らが高潔であるかを知り安心できるために、

我々の代表政府を監視するこのような機関が必要である。

 

 

さらに、この第四のコントロール下に、

議会は二つの
手順を許可していた。

 

1) グラフ・パラノモン(graphè paranomon)は特別な手順で

有害な法律や行政官の責任
説明が行われた。

 
2) エサンジェリ(eisangelie)は行政官の汚職や裏切りを告発できた。

これは
責任説明の後で、最終的に彼の顧問が悪かったことに

気付き
疑問を持ち、責任を負わせる。

 

 

このようにして、抽選制には沢山の保護的仕掛けがあったので


アテネ人は
200年間抽選を怖がらなかった。






 

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