フランスに起こり世界中に広がる黄色いベスト運動リポート

黄色いベスト運動の到来は資本主義と選挙ー代表制(議員)システムの弔鐘か?

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77B6CA89-C955-49A5-99E2-620E74C9CCE4憲法教室(アトリエ)
         





黄色いベスト運動の到来は資本主義と選挙―代表制システムの弔鐘か?

 

 

目標は黄色いベスト運動で市民発議の国民投票

現憲法に「挿入」することである
 

 

クリスマス前に始まった黄色いベスト運動は多くのフランス人に
とって
クリスマス・プレゼントのようだった。


もう十四年以上も前からこの日のために
「憲法教室」を準備していた人々は、
多分まだ十年はかかるだろうと言っていた。
 

 

だが、黄色いベスト運動による 

フラン
の円状交差点や

高速道路料金所で増えている

憲法制定アトリエ(勉強会)


フランス人はチューニジア革命やエジプト革命
時と違い

準備されてきた
のだ。


 

彼らは憲法制定者になるための練習をして来た。


これはフランス人が政治的に
成人になったことを意味する。

彼らは言った。


「我々は我々より上に位置する議員と彼らより劣る我々は、

全てのことに関して依存することを拒否する」。
 

 

「我々は意見を言えない?

決定できない?

いや。

我々は来るべき反乱のために


いつの日か分からないが、

人間は常に反乱を起こしてきた


我々はその日のために憲法制定を練習する。


その時に、

その機会に、

次の憲法制定議会が議員ではなく、

我々自身で制定するための練習をしている。

何故なら、

プロの政治家が
彼ら自身の規則を書くことを我々はもう望まない。



何故なら、

人民の
無力で終わるからだ

。もう十分だ。」
 

 

 

練習しながら憲法を読むのが上手くなる。

やかましくなる。

 

 

色々なアトリエから分かることは、

人々は全体的に
同じようなこと、

実際的には委任の規則を書き


人々はあまり法律を書くことを好まない。


憲法制定アトリエでは
代表者の原則を書き本当のコントロールを
書いている。

中には字を読めない人もいるが決定に加わり彼の意見を言う。

 

今すごいスピードで変わってい

未来がどのようになるかわか
らない

しかし、数ヶ月前ではこのようではなかった。

まだ10年はかかるであろうと言っていた。


黄色いベストは我々がしなければならないことをしている。


違う立法を考えることができ


憲法制定レベルがあることを示し、


我々に欠ける人民の強さを制定している。
 

 

 

さらに立法レベルに降り書き始た。

彼らは立法的な要求に固執するより、

市民発動の国民投票の憲法制定の要請を最優先する

ことにし、それを書いている最中
だ。 

 

 

彼らはそれらをしている最中だ


実に模範的である。


彼らは我々皆がしなければならないことをしているのだ。


フランス人の80%
は30年前から意見調査によると、

リックを望んでい
故に、フランス人民はそれを熱望している。

そして、黄色いベスト運動は、それが我々の
最優先であり、

我々自身で書きたいと言っている。
 

 

市民発動の国民投票に関する国民の熱望と黄色いベストの

革命の高揚の連結は
妨害されなければ、暴力がなければ

さらに運動内の
仲間割れがなければと言う条件で

盛り上がっていくなら全ては変わるで
あろう。 


 

市民発動の国民投票は代表民主政の否定ではなく

反対に根本的な改善である




一世代は次世代に足枷をかけてはならない。



これはトーマス・ジェファーソンが米国憲法の編集の際に言ったことで


憲法、法律や政治法則の大原理であり、

実際に各世代は規則を再検討する
権利がある。 

 

 

黄色いベストは憲法アトリエを至る所に設置していて、


プラットフォームの功績を設けてい



各々のグループが
良い市民発動の国民投票を編集したと思う時は
そこに公表する。

ヶ月かヶ月後に投票できる。

投票によ
最も良い市民発動の国民投票が出てくるだろう。

 

この知的プラットフォームの功績で


黄色いベスト
と他の人々に圧倒的多数で選出されたのは

つの市民発動の国民投票だった。


200
から300の提案があったが、皆同じようなものだった。 

 

 

望むことは、誰か大統領に値する人が選ばれ、

公共の、一般の利益の概念のある


我々の考えを本当に代表してくれる人が現れて欲しい
と、

夢みたがもちろん無理だろう。


 

しかし、善意の意図を抱き、職権を持つ人が

さぁ、6ヶ月の考慮の後に
黄色いベストと他の人々が加わり

市民が3つのリックを選択した、とても興味深いので
国民投票にかけ、

これら3つのリックから最も
大多数を受けたリックを選択しよう。

これはユートピアではない。

ただ、それに相当する大統領が必要だ。


その
代表者は現在の議員ではない。 

 

 

通りにデモに出る人々は代表者を望まない。

人々はもう何十年も代表者に裏切られ続けていると感じている。


しかし、
我々我々の真の奉仕者になる代表者を選び、

我々の望むリックを制定して
憲法に挿入させることに

全力を尽くす
つもりである。 

 

 

市民発動の国民投票の挿入は


現憲法を不均衡に
するので

多くの手続き
も変えなければならない。


それは、憲法全体の組み直しになる。

 

 

憲法の改正はブロックごとではなく、

条項ごとの改正
する。

ブロックごとに改正すると中に
受け入れられないような条項もあり、

嫌々ながら
投票することになる。



例えば、1995年の
欧州連合の憲法の投票時には

人々は提出された憲法の中に
受け入れられない条項もあったが、

それは否定するほどの大きなことではな
かったので「はい」投票になった。


その時は条項ごとへの投票では
なく、

ブロック全体への「はい」「いいえ」
の選択をせねばならなかった。

 

事実、我々の腕を常に捻り上げ



憲法全体の企画に、

ブロックごとに「はい」「いいえ」と答えねばならな
く、

ニュアンスを禁じるのは屈辱的である。

 

また、特別な題名ごとの投票ではなく、それは憲法制定者が決めることだ。


寡頭政治家
ではなく人民が決めなければならない。


憲法制定者がそれがブロック
条項か決める。


問題を感じると
討論し妥協する。

憲法アトリエではそれらを沢山している。
 

 

多くの場合、憲法アトリエでは国会のように口喧嘩などしない

事実上
、憲法制定を書く時にはもっと合意的である

しかし、時には不合意の時もある。


我々は憲法アトリエで不合意を構成することも学んでいる。

と言うことは、

合意に達しない時は


2つの選択を書く。


選ばなければならない一連の2つ
の条項と、


憲法制定者がブロックの条項を決める。
 


 

市民による憲法制定過程と市民の憲法教室

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フランスの黄色いベスト運動の憲法教室



                  
市民による憲法制定過程と市民の憲法教室

 

 

誰が今日の本当の代表者であるか。

 

問題はこの憲法に我々は代表されていない。


銀行家は代表されている。



金持ちは
この最上の憲法のテキスト

彼らが
すでに選定した候補者の中から選ばれる選挙の手順を設置
しているので
代表されている。

彼らが候補者に資金援助
できることで、

これらはどのような選挙でも常に勝てる。

 

我々は政治的牢獄にいる。

 

皆が無視して、

普段なら考えても
みない憲法のテキストも黄色いベスト運動で
変わって来ている。

時は来た。

我々を牢獄に繋ぐものが
現在の憲法のテキストの中にある、

我々の政治的無力さがこのテキストに書かれてあることを識別

しなければ、
これら自称国民の代表者が日夜、

我々を裏切る行為に抵抗できな
い。


問題を根から扱わねばならない。

 

 



                            市民の
憲法アトリエ(勉強会)
 

 

黄色いベストは今のところ憲法全体をを問題視してはいない。

しかし、
憲法アトリエ(勉強会)では憲法全体を書き換えている。





<> 市民による憲法制定過程と市民の憲法教室

 

 
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エチエンヌ・シュアール

 

 

憲法アトリエとはエチエンヌ・シュアールがここ十年以来

フランス中を講演して回った時に、それらの
地域に設置した

市民
憲法勉強会である。


今では、黄色いベスト運動の機会に、

フランス中の円状交差点、高速道路のペアージュに

憲法アトリエが設置された




そこに市民が参加して
憲法、政治などを勉強し、検討、

決定
する場所になっている。 

 

 

最初のアトリエでは先づ第1に憲法のテキストを検討する

読書のアトリエ
で点から点まで、、線と線の間を読むことを学ぶ。


例を言うと、

フランス共和国
憲法第三条は

【国家主権は国民に属する


(うわー、素晴らしい。そして
誰が行使するのか?)

人民はそれを代表者を通じて
・・・

(
あれっ代表者が?変だぞ)と考える。

そしてそれは
詐欺だと気づく。


何故なら、もし我々が
【代表者】から行使されるなら、


我々人民は行使しないからだ!



 

 

このように書くことを練習している。

本当に驚きだ。

憲法の
どのような条項を取ってみても反憲法だ。

これを憲法と呼んではならない。

これは国民の保護ではなく牢獄である。
 


 

どのような条項でも偶然に取ってみることだ。

そこには
国民の権利の没収がある。

それは
欠陥であるから見えない。



だから塾考することだ。


人民と
その権利はどこにも書いてない。


我々のマスター(議員)が
後見人である。


しかし、条項を読み
よく吟味すると欠けていることが見える。


我々が何処にもいないことが見える。

 

 

故に、憲法制定者の最初の活動は

これらのテキスト
どのようにして我々の政治的権力を

剥奪しているかに気付きこれらを読むことにある。

 

 

そして、黄色いベスト運動は現憲法三条を、

憲法アトリエでこのように修正している。

 

 

「主権は国民に属し、

それは全ての題目
の、

憲法と協定も含めて市民発動の国民投票
と代表者により行使され、

条項は国民投票でしか修正できない」


 

 

 


    <>  国民投票の発議が大統領や
国会議長や政府にある危険性

 

 

また、大統領や国会議長、政府の発議で始まる国民投票は
とても危険である。

何故なら帝国主義であるからだ。
 
 

 

一例を取ると、

人間の歴史で皇帝主義
とは広い意味で君主でいられる。


大統領
発議の国民投票で単純な大統領の質問が

90から95%の「はい」


圧倒的多数で選出される
国民投票、

これはナポレオン三世が利用した。

 
彼らはその後

自由を抹殺する政治を運営するのに正当であると感じるからだ。


 

 

故に、何か危険なものがある。


執行権
はすでに多種の法外な権力がある。


これらに
国民投票を与えると、

全ての
権力に反目して全てを通すことができる。

議論の余地がある。

 

 

 <>発動に必要な署名数と市民発議案の手順

 

 

我々が数百人、数千人、数万人になれたら議会も国家評議会(

日本の場合最高裁判所
)も誰も我々を遮ることはできない。


我々は正当な質問ができる。
 

 

我々が十分に多数なら

どのような機関も我々の前に立ちはだかることはできない。


国民に質問がなされ


もし国民が確認するなら、

どのような機関にも遮られないで決定され



 

一人の男性や女性がもちろん見事なアイデアがあるがカリスマ的

でないので、政治集会で
10万人の署名を集めることができない
場合もある。
 

 

抽選で選ばれた『国民投票院』を設置することにし、ごとに設置され、

仕事は1時間
ほど「市民発議案」を聞くことだ。


国民投票院は市民と
1時間の会見をしなければならない。 

 

この時間内で市民は自分の考えを提示でき、院は聞き、確認し、

もしこの考えが良いのであれば


さらに1時間必要であれば2時間の延長を
要求できる。 

 

さらにこの考えが良いのか

または国民投票にかける価値があるかないか
分かるために投票をする。


これは寡頭フイルターではない。


何故なら、これらは抽選者であるから。


故に
普通の人々が参加する。

 

 

そして、国民投票院がこの質問と個人発議案が有益であると

決定するなら
これを予定表に登記する。


スイスでは
年に4回国民投票する。

 

 

故に年に4回の国民投票が行われる。

ヶ月ごとに国民投票がある時には祭日(休日)で働かない有給日にする。


また、発議案がフイルターを通った後は
国民投票院は

この質問が難しいかどうか決め、

院は討論を組織して国民の意見を照らす。

 

 

一見3ヶ月ごととは多過ぎそうに見えるが、

スイスではそのように機能していて、

彼らはとても満足してい



10の発議案のうち8は
風変りに見えが、その場合は控え

しかし2は重要である。

彼らは国民投票を本当に重宝がっている。

 

 

国レベルの国民投票だけでなく、

他にも市の国民投票、

県の国民、

地域の国民投票
もある。 

 

 

一例をあげると、

市レベルの国民投票では


今起きている「市の強制的合併を直ぐに辞めさせる
」ことである

数年前の市の機能に戻すということ


強制的合併で
小さな村の首を絞めている。

我々が市の合併を
許す時は、あらかじめ、

関係する地元の間で国民投票があった時にだけ
である。

これらが義務付けされねばならない。

 

 

さらに、我々が貨幣の創造をコントロールできるなら、

国民投票院の人々に
支払え

 

 

このように

我々は
議員に何もお願いしないで我々自身で憲法制定過程を

制定できるなら、新憲法を制定するのに議員は要らない。



議員は憲法制定過程で
正当ではない。

彼らは同時に
判事と裁かれる者であり、

議員は憲法制定過程から出
て行き

憲法制定過程の中にいてはならない。


 

望むことは

日本も他の国々
も、

人民が憲法制定者になることで一緒に独立し、

金融グローバリストから


国の牢獄から同時に解放さ
れることだ。



何故なら1つの国が
民主主義になっても帝国の軍隊はそれを
打ち壊し
無にするだろう。


 

 

我々が「選挙」から抜け出て、

憲法制定者になることができるなら


我々は市民発動の国民投票を制定でき、


数多くの日本人の望まない国際協定、

例え
TPP条約などを国民投票で告発し脱退できる。


契約を告発すればいいのだ。

 

TPPの場合は、

それに加入し続けるなら、

数週間後、数年後、我々は退職の攻撃、

労働法の破壊、

会社の税を下げて

国民の税金を上げ

公共のサービス
の削減や民営化、

これら全てはこの協定から強制される。
 


 

 

 <>代表者(議員)という存在自体が問題なのか

 

 

代表者(議員)に問題があるのは確実であるが、我々が多いということで

代表は必要である。


憲法上の
代表制の存在に関して我々が討論するのは基本的である。


何故なら、

憲法とは
代表の規則である。


憲法は代表者を制定し、


その権力と反権力



代表者に関する代表される者たち
の役割を制定しなければならない。 


 

 

しかし、

この日本国憲法は、

世界中の全ての憲法のように代表者から作られている。


しかし、

憲法制定過程では、

憲法とは代表する者と代表される者たち
との社会契約である。


この社会契約を交渉している間はまだ代表者は存在しない。


契約が制定された後にこの代表は浮き上がり、


代表者はこの社会契約を作る者ではない
ということだ



代表者は日本国憲法を書いてはならないのだ。


彼らは利害の衝突関係にいる。


 

 

代表者が、政治プロが憲法を書くとき、

彼らには一般の利益に反することと反対の個人的利益がある。

子供でも
分かる。

世界中に起こっているように

彼らには彼らの権力と人民の無力を制定する利益があるの


憲法には

このようにはっきり書かれていないが

人民の権力はどこにも書かれていない



人民の権力は憲法にはない。

不在である。

 

憲法に人民を探すけどいない。

我々は隅に押しやられている。


我々はどこにもいない。


もし、憲法内に人民がいないのは


憲法を書いた人が適当な人ではなかったからだ。
 

 

 

代表者は必要であるが、

憲法のテキストは代表者を制定し
なければならない。

権力を制限しなければならない。

 

 

故に、

明らかに代表者は憲法を書いてはいけない。


彼らは
偽のコントロールを書く


それが世界中に起こっている。


議員にとって我々は政治的に
子供であり、彼らから子供扱いされ、

この憲法内に我々は
何も決めてはいけないようになっている。 

 

有権者は憲法制定者に変化しなければならない。


フランスでは#黄色いベスト運動


有権者は憲法制定者に変化している
最中である。

彼らは
代表者の規則を最良の形にするために彼ら自身で憲法を書く
市民に変化した。


【これこそが市民発議の国民投票である。
 】

 

 

憲法は牢獄である。

我々の牢獄に関してよく考えてみることがとても重要だ。


しかし、このテキストを我々自身で
書き始めるとこれは保護に変わる。


こうあらねばならなかったのだ。


憲法制定過程での我々の
辞職を止めなければならない。 

 

 

また、憲法制定議会立法議会から区別される。

重要な点である。

憲法制定議会は
仕事を完成した後解散される。


そして、
立法議会制定のための選挙を始める。

 

 

今日のレベルは上がり、

多くの人々が立法者でなくとも憲法制定者になれる。

専門家は必要ない。


(フランスでの
14年間の憲法アトリエで、

人々はとても良く書くことで証明されている)

 

根本的な問題は、

人民は憲法
制定議会にどのような者でも指名する権利がある。 

 





 


 


 


 


 

  

 


 

 

 


 


 

 

 


 


 

 


 

 


 


 


 

 


  

 


 


 


 


 

黄色いベストの市民発動の国民投票(3)

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RICは市民発動の国民投票で黄色いベストの要求のコア

 

                全てを国民投票で決めれるのだろうか?
 

 

全てを国民投票で決められるのか


そして、大部分の国民が関心を抱かないものを国民投票で決める
必要がある
のか。

 

また、金融関係の法律でとても複雑なものもある。

沢山の書類が国会に来る。

沢山の報告
者が各々の予算について報告する。


このような問題、拡散、複雑、過多な主題に国民に答えを要求する
ことは不可能に近い。


複雑化、多様化、国民の関心の薄さである。


米国では人々に要求し過ぎないように
選挙まで待ち、2年毎にある。

 

 

スイスの場合でも投票はいつでもある訳ではない。


1年に4回で
リストがある。

 

質問がリストになっている。

 

 

しかし、参加率が微小になることで国民投票の信用を落とさない
ことに注意を払わねばならない。


また、主題が容易に理解できることだ。


 

多数の法律、複雑な法律、市民に全ての法律を投票させるべきではない。



故にこれは直接民主主義ではない。


直接民主主義
とは

スイスの小郡のようにスイス
人は手を挙げて全ての法律を
決めている(唯一の
小郡)。

 

しかし、スイス人は民主主義の永続過程でそれを少しずつ失おうと
してい



彼らは民主主義の悪化過程にいる。


権力泥棒達が
全ての権力を取り戻そうとしている。


政権の全てのコントロールからの解放で
、スイスは彼らの民主主義を
失っている途中だ。

 

 

市民発動の国民投票で

問題は
我々のイニチアチブで我々が重要だと考える主題の発議案を

発動できるかということだ。


もし、全ての
法律を投票できないなら全然違うことになる。


我々は全ての
題目に主権があるか、


また我々に禁じられた領域があるかを知ることである。


 

 

例をあげるとイタリアでは市民発動の国民投票があ


1%の市民が国民投票を発動できる。


しかし、税
関係題目では彼らは国民投票を発動できない。


 

しかし、税関連の題目こそが最も重要で必要な題目であり、


我々には沢山の
実際的な考えがあり


税関係の題目を国民投票に発動させたいのだ。



また、イタリア人は
協定の題目にも発議案を出すことができない


こうした
禁止事項があるのだ。


 

我々には協定に関しても再検討したい沢山の考えがある。


それらを市民
発動の国民投票で取り消したいのだ。

 

 

しかし、今日の金持ちメディアは

彼らが真実を言っていると主張し


国民投票のことを話すと赤い布を
振りかざす。


 

彼らは常に同じ言い方をする


もし、人民に市民発動の
国民投票を制定するなら、


彼らは死刑を再設置するだろう。


外国人をみな送り返すであろう。


金持ちから金を巻き上げるだろう。


妊娠中絶を
廃止するだろう。etc



 

これらの権力泥棒、言論泥棒が一体どのような高さから

『人民に主権がある、多分。

そうそう、市民発動の国民投票のことは少し考えてみよう。


しかし条件付きだ。』

と言えるのか。


 

それらの人々は上の方からどのような権威で、

ほら、人民はそことそこに
主権がない、

ということを
許可されているのか。



政治哲学の最も上のレベルの思考
からも、

我々は誰がこことここに人民の主権がないと言えるのか?



もし、我々が
民主主義者であるなら、

時には人民は重要と考えられる主題に私の考えと違う決定を
選択する、


ということに心を準備しなければならない



もし、私がそれを認めないということは
私は暴君ということになる。


 

我々は死刑や妊娠中絶を廃止することなどに恐怖を感じるが


しかし、どのような正当な
優先という考えから


人民はそれらの領域を廃止できるのか?


 

民主主義では、

人民が正しい正しくないかを問わずに人民は決める、

それだけである。


 

我々は主題が安楽死、

死刑など
複雑である時は異なる意見を討論するために

6ヶ月か1年の期間

発案から国民投票まで
置くことさねばならない



これらは国民投票のサイトか

または
国民投票テレビでもこのような機会を増さねばならない。


 

 

討論に関しては


国民の意見を照らすためには絶対に必要で
ある。


これらの
討論のプロセスを経てから


人民は
国民投票でどちらかを決める。


また、人民は間違う時もある。



議員は間違わないのか?


いいえ。


議員も同じように間違うのだ。


我々は公的な決定をする。


間違う危険性もある。


人民も間違い初めていいのだ。


 

 

   市民発動の国民投票のコントロールはどのように機能するのか?
 

 

憲法は法的ピラミッドとして法律国家の頂点にあり、


憲法は裁判の道具ではない。


これはもっと高い道具であり、


市民は市民自身で憲法を書
き、


それを
市民自身でコントロールせねばならない。


憲法制定者は
法律家だけでなく、


単なる市民であり


、憲法制定者は動員され続け、これらこそが憲法評議会


であらねばならない。


と言うことは市民自ら
憲法の良い適応を確かめねばならない。 


 

 

これは法律家の問題ではない。


法律家の問題は彼らは極端に保守主義
である。


彼らの勉強の本質自体がこのようになっている。



彼らは沢山の法律を暗記し、


神殿の護衛
である。


その彼らが憲法をコントロールするということは
権利上問題がある。




これは我々から政治的道具を完全に
決定的に取り除くことになる。





 

 

黄色いベストの市民発動の国民投票(2):憲法とは何か?


##  憲法とは
いったい何か

 

 

憲法とは何か、ということをよく理解せねばならない。 

 

 

我々人民、最も強い者達が専制的支配で我々が書いた法律を

執行するプロセスを妨害しないために、我々の
代表者が必要である。

 

 

しかし、我々はこれらの権力が便利ではあるが極端に危険であること
も知っている。

全ての権力は悪用される傾向にある。



【憲法とは、我々を権力の悪用から守る
厳密で天才的な
ツール(道具)でもある。】

 
 

 【憲法とは権力を弱体化するテキスト】である。



【憲法の
役割とは権力を不安にさせること。】


【憲法により彼らは怖がらねばならない。】


 

 

しかし、もし、その反対に

権力が憲法を恐れないなら
、【彼らが書いてはならないのだ。】

 

 

プロの政治家が彼の選挙の規則を書くという行為は


【利害の対立】であり、


同時に『裁判官と裁かれる者』であり、


勿論、彼らが彼らの権力と我々の無力を組み入れることは
前もって予見
できたし、理解できたはず。


 

 

利益の衝突と彼らの間の権力団体精神のために、

【政権は彼らの同僚から
公平に裁かれることはない。】


 

 

利益の衝突に対する普遍的な解毒剤は抽選である


 

 

1%以外の99%はこれの重要さを理解できる。


 

共通の利益のためには、

政権
全ての監査機関は

抽選で
任命された普通の市民でなければならない。 


 

 

#憲法とは、

これらの権力に関して人民
の権力や監査組織の役者を指名する手続きの
テキストである。


#憲法とは、

常に修正できる社会契約であり、人民が作り、それに自ら従うことに
同意する。

 
 
憲法は強制的に悪用から社会を保護するために

それらの権限を制限しなければならない。


だからどのような場合でも


【権力についている者たちが
権力の規則(憲法)を書いてはならないの
である。
 】


 

 

事実、憲法制定過程において【議員は当然に利益の衝突状態】
にある。



彼らの個人的利益は
公共の利益に反する。


だから、彼らは常に彼らの
力と人民の無力を制定する。


どの時代でも世界中でそれらが観察された。

 

 故に、【権力にいる者は権力規定を書いてはならないのだ。】



 

 

もし、抽選が一度も制定されたことが無かった理由は

憲法制定議会は
公共の利益を犠牲にして常にプロの政治家で構成され


故に、
個人的利益のために【選挙】が優先された。



 

 

だから、

もし日本人が我々を無力にするこの政治的罠から抜け出たいならば、


【憲法制定議会を抽選で
決めることを絶対の最優先にしなければ
ならない
。】


【憲法制定議会は絶対に議員で構成されてはならない。
 】

 



市民以外の誰がこの憲法制定議会の計画を持って行くのか



市民しかいない



 

 

さらに 先ず、

我々が一番最初にしなければならない
最も重要なことは、

現在
使われている全ての重要な「語」を正すことから始めることである。


 

 

今日私は本当の市民ではありません。


何故なら、市民とは
自立していて自分自身で法律を投票する

 

 

有権者でしかない、

と言うことは
政治的な子供であり


私は私以外から書かれた法律を被っている。


 

 

我々がこの罠から出るためには

普通の人間の間で、


お互いに言葉を交換させ、


我々は皆
養成者の養成者】になり


「白血球」や「親切な民主主義的な
ウイルス」になり


シンプルな強い考えを
運び、


我々の全ての力を集めて寡頭政治のアキレス腱を
にする。 


 

 

そして、正直な憲法制定プロセスを要求しよう


【憲法制定議会では、選挙を
抽選に変え、


我々自身で政治的力を制定
するのだ

 

 

我々は我々自身で憲法と社会契約を書きたい。


この考えを
追求し、

本やネットなどで検索
し、勉強し続けることだ。】


 

 

もし、我々が本当に多数でそれを望むなら、

それは可能になるだろう。


暴力なしに。


この考えは世界中どの国にでも通用する。


 

 

 

黄色いベスト市民発動の国民投票(リック)とは革命的あり世界中に通用する

 

 

黄色いベスト運動でリックという言葉が現れた。

これは
(référendum d’initiative citoyenne)書き


これらの頭文字
R,I,Cを取ったもので、市民発動の国民投票である。 


 

この言葉は黄色いベスト運動が始まりフランス中の高速道路の

ペアージュ(通過料金支払い所)や円状交差点で
2424座り込みの

際に、
一週間もしないうちに

彼ら
は政府に要求書(陳情書)を書いた時に現れた言葉



 

伝統的な社会団体のデモの機会に現れる政府に提出する要求書である。

今までは、

陳情書とは
立法請願書であり、

法律の
制定を要求することある


しかし、
陳情書とは今までのように、

彼らは彼らより
「偉い」議員に会いに行き、懇願する。



主人様。あまり残酷になさらないで、

ほんの少し給料を上げてください


税金をもっと下げて公共のサービスを壊さないでください
 

 

今まで我々にはこのような方法しかなかった。


 

 

しかし、

これら陳情書の中に急に
リック(市民発動の国民投票)

という完全に違うものが現れた。


これは
法律ではなく、


主題を選択する方法



法律を取り扱い決定する方法。


意見を言う方法である。


決定に参加する方法
である。


 

 

これは絶対に決定的である。



とても劇的
で彼らは早くも週間あまりで陳情書のリスト中に


#「市民
発動の国民投票」を入れる重要さを理解した。


 

 

これは人民にとって最高の力になれる。


市民
発動の国民投票とは法律を決定する流儀である。



流儀とは、【人民が同時に
法律の発案者と決定である。】



【人民が制定するものは法律になる。】



 

 

これは決定的である。

人民の運動が優先的に憲法制定
をこの角度から捉えるということは
革命的であった。
 

 

市民発動の国民投票は

もし
我々に質問を提示するイニチアチブがあり、

我々自身で市民発動の国民投票の規則を書くのなら、

国民
投票は他の全ての規則に勝る。


最上レベルの法律となる国民投票になる。

 

 

#人民が決定したことは彼らが以前に決めた全ての事項を覆い張る。


我々は死人に統治されるのを拒否
する。

1世代は次世代
を彼らの権利で追従させることはできない。

もし、今日、人民が決定するなら
正しいである。


何故なら、人民に権利があるからだ。


人民は間違っていない。


人民は
正しいのだ。


それが民主主義である。

 

 

また、本当の意味で市民発動の国民投票は直接民主政ではない。


直接民主政では
スイスの小郡にあるように

市民が手を上げて直接
法律を制定する。


そこでは
市民発動の国民投票は必要ではない。



市民発動の国民投票は代表政府システムで

市民が手綱を取る手順である。



 

 

れは代表政府に我々のために法律を討議、


制定する責任を
代表に委任することは受け入れる


彼らが我々が望まない悪い法律を制定したり、


我々をある理由で裏切ったり
しないための法律である。



これらに関する
根本的で基本的な規則が欠けていたからである


さらに短く言うと、


我々がこの憲法と
立法の一部に

市民の間で討論し決定できる機関があるのを
考慮するなら、

この【機関こそが
市民発動の国民投票】なのだ。 


 

 

だが、

肝心なことに、

憲法のように一般的に議員は絶対本当の国民投票を書かない。


これらの
者たちが国民投票や市民発動の国民投票を書く時は

いつも彼らの利益を優先して
枠をたくさん設け禁止事項を加える。


滑稽なくらい
だ。


イタリアのように
税金の質問はできないし、

スイスのように議員を罷免できなように

禁止事項を加えて
骨抜きにしている。 


 

禁止事項が沢山ある。

#何故なら我々自身で書かないからだ。


#議員はそれらを制定したくないのだ。


故に、

とても重要なことは




【我々自身で書かなければ本当の市民発動の国民投票は
生まれない。】



そして、
その後全ての憲法を我々自身で書く。


 

 

フランスでは、リックに関して興味深い話があった。

15年ほど前に、

全ての政党がリックを
政策プログラムとして掲げていたが、

彼らが政権を手に入れた時には誰も実行しなかった



 
実際リックを掲げていた政党みな商品を売るための宣伝として
実施する気は毛頭なかった。

選挙の候補者や議員が彼自身で自分の
首を絞めることになる手続きを
制定することはできないであろう。


 

このような実際に起こったことを考慮に入れると、

#権力の
座についているものが権力の規則を書くのではない

#議員が憲法を書くのではないということだ。



市民
発動の国民投票が憲法に制定されるなら


市民
発動の国民投票は機関であり、


議員が書くのではない。


我々市民が書かねばならない。

 

現在、

我々の政治風景には、


彼自身で
あることができる強い候補者に欠けている。


一度、当選した時に、

私は憲法を書かない


何故なら私が憲法を書くなら、

私は利害関係の
争いの中にあるので、

もし私が選ばれたら私は憲法制定過程
を設置し私は干渉しない。 



 

黄色いベストの『市民発動の国民投票』(1)

『市民発動の国民投票』市民による【憲法制定プロセスの放棄】が社会的不正の最初の原因になっている。政治家=議員から憲法制定を取り戻すことが黄色いベストのデモの目的である。警官の暴力は99%への1%の返答である。暴力で1%の特権を維持することがマクロン政権の存在理由である。




市民
発動の国民投票とは何か?

 

 

我々を守ってくれる政治体制が必要である

最終的に権力の乱用に対して
社会団体を守ってくれるもの

政権の乱用に抵抗できる社会団体の存在
を可能にし
そして社会団体の活動を
可能にする機関構造が必要である。 


 

 

市民発動の国民投票はこれらの制定されねばならない機関の一つである。 

 

それは色々な人々が一緒に生きよう、活動しよう、決めよう決意する
意志のもとに集まった集合体である。


疑問な点に関して
討論を行い、各々の意見を出し、決定できる

また、異議
に関しても重要である。

スイスの
例をあげると、国民投票があるが完全な民主主義ではない。

半民主主義と言える。

時には、スイスでさえも国民投票で嫌な決定を取るかもしれない。

 

そのような決定は取られた記憶はないが、説明のためにイメージしよう。


それで、スイス人は
酷すぎる犯罪を前にして死刑を再制定するために、
それに関する疑問を国民投票にかけ
る。

スイス人が国民投票で肯定的に
答えたことをイメージする。(実際に
これは本当ではない。少し前に、スイス人はこの問題に関して
「いいえ」で投票した) 

 

市民率先の国民投票に反対の金持ちはその死刑の件で、

世論の前に赤い布を扇動し
国民投票の危険性について人々を
怖がらせようとしている。

しかし、実際にはそのようにはならない。

人々はそんなに愚かではないのだ。

だから、彼らが死刑に「はい」で答えた場合を想像してみ
よう


私は怖がらなければならないと
仮定されていて
「あー。なんと人々は悪い決定をしたんだろう
」と思う。

しかし、考えてみると、「人々は
これとこれを決めれるが、
これとこれを決めれない」それを考える私、貴方はいったい誰だろうか?

人民に
それを決める権利がないと言っている私は誰であろうか?

この場合の私は独裁者なのだ。
 


 

 

間違う権利も含めて

 

このような難問に関して、もし私が民主主義であるならば、

人々は時々私と同じ考えを持たないと言う考え
に慣れねばならない。


もし私が憲法制定機関を望
み、

人々の決定が私と同じであることを望むなら


私は暴君ということにな



私が人々の全てを自分の立場で決めるということである。
 

 

我々が言えることは、もし人々に自由に決定させる権利を与え、

メディアを取り戻し
、そして国民投票以前に討論がある時これら

全て
の問題解決するということである。



残念ながら、スイス
でさえもメディアに関しては世界レベルであり、
恐ろしい
ほどに操作されている。

これがスイスの
民主主義の機能障害の一つである。

 

 

我々は憲法を貨幣制度も含めて書かねばならない。

公共のサービスの金と
我々のメディアと全ての機関をコントロール
して金を取り戻す。
 

 

我々の全ての機関のコントロールを取り戻すということは

我々の沢山の無力に終止符を打つことになる。

憲法を市民自身で書くことで、信じられないほど多くの

政治的
無力に終止符を打つことになる。 


 

 

 

間違いは常に修正される、議員は間違わない?冗談だろう

 

 

このような形で市民率先の国民投票が実行されたなら、

もしかしたら時には間違えるかもしれない。

しかしもしそれが
客観的にみても間違いであったなら
人々が気付かないはずはない。

年後、ニ年後、三年後、人々はそれが悪影響を及ぼすことに気づく
だろう


その時には人々はそれを変えるだろう。
 

 

さらに言えることは、もしそれが間違いでなかった場合

その場合はそれは本当に良い結果であった
と思えるようになるだろう。

だから、私は
実はこの件に関しては本当に同意していなかったけど
それで良かったのだ、と思えるようになる。

 

一つ、二つ、三つの投票結果は私を動転させたが、

しかし
同時にこれらの人々は他の問題で、投票で、公共のサービスの

民営化に
反対する投票を入れたり、退職の劣化、原子力反対、不正に

反対など人々を守るためための投票もしてきた
、と感謝を持って
思えるようになるだろう。

 

に権力を与えると馬鹿げた決定しかしないと言う赤い布を振りかざ
1%の
主張は信じるに値しない。


本当ではない。

良いこともしなければ、馬鹿げたことも
しない。

もちろん時には間違う
だろう

間違わない人間などいる
のだろうか。

 

議員は間違わない

冗談だろう!


いつも議員や大臣が戦争を
始めるではないか。

誰が
シリアに空襲で爆弾を落とそうと決めたのか?

シリア
に落とした爆弾だ。

それは抽選された市民か?


人民


全然違う。

選出された議員だ!


 

女と子供がいるのにシリアの通りに爆弾を落とすということは
道理をわきまえていない。

我々人民は憤慨を感じる。

普通の人々がそれをするとは考えられない。

我々は人民が
メディアを操作するとは考えられないが、しかし、

人々がメディアのコントロールを取り戻した時には本当の議論が可能で
あろう。

 

戦争をするのは銀行家、大企業であるが市民はしない。


もし、人々が
喧嘩したり、闘争、馬鹿な争いをしたとしても
戦争ができるとは思われない。

戦争に
国令がいる。

本当の組織、強力な組織を要する


銀行しかできない。

大企業が
金儲けの目的で戦争をするからだ。 

 

戦争を始めたのは議員

全ての戦争は金持ちが起こした。

人類は
争い、小競り合い、闘争はできるが、戦争はできない

戦争は国が存在するようになり、国を金持ちが支配した時から始まった。

 

それは世界中でこのようにして起こったし、日本でも同様である。

 

常に金持ち、支配者が金儲けと彼らの都合で起こしたのだ。


議員は彼らの執行人である。

普通の市民は戦争などしない。
 

 

しかし、用心深くなった国民が憲法制定者になると、

このような暴君たちの居場所はないのだ。
 


 

 

  偽の日本国憲法という牢獄に閉じ込められている日本人 

 

憲法とは不幸にこの極めて重要なテキスト実は誰も読まない、

普段
気にもしない完全に忘れている、

読んだことが一度もない
人も多くいる。


ただ
多国籍企業と銀行家だけがその重要さを知り、この200年間

資本主義の基盤として固守するテキストである。


憲法は突き詰めて言うと、これら1%の者たちのためにあるのだ。

99%を支配するためにあるのだ。


 

また重要なことだが、

憲法には貨幣創造権が日本国民にあるべきであることが
書かれていない。 

 

我々の議員が選挙約束を忘れて知らん顔をしていられる

コントロール無しの
政治体制であることも、この憲法に書かれてある。


彼らは国民の前に釈明しなくてもいいようになっている。


憲法に、これらの
議員をいつでも罷免できないということが書かれて
いるのだ。

 

さらに、国民が選挙の候補者を自由に選択できないことも憲法に
書かれている。


我々は
大金持ち資金を提供した彼らの候補者の中からしか選べない
ようになっているのだ。

憲法には
大金持ちが彼らの候補者を援助してはならないと禁止してい
ないのだ。
 

 

日本国憲法には市民が率先して国民投票ができるという日本国民にとって

至上の主権を書いていない
。(教えていない。国民に情報を拒否している)

 

 

日本国憲法前文に、

直に


乱暴に

「日本国民は選ばれた代表者により主権を行使する」

始まる

 

その意味は日本国民は未成年であり、

政治後見者
と親(天皇)が必要であり、

国民は自分で決める能力がないということを意味する。


ということは日本国民には全主権は無い。

半分だけあるという意味である。

 

多国籍企業、銀行、1%がメディアを支配し、日本の世論を影響し、

日本人を洗脳する目的で新聞
、プレス、テレビメディアを買うことを

禁止することが日本国憲法には書かれていない。
 

 

結論として、日本国憲法に日本人は「存在」しなく「何の権力」もない。
 

しかし、それだけではない。この悪質な憲法は「誰が書いた」のか


 

 

 

日本国憲法は終戦後、数人アメリカ人に書かれた

 

日本国憲法は日本人によって書かれたものではない。

戦後、数人のアメリカ人に
よって僅か数日間で書かれたとも言われている。

明治憲法よりマシだが
日本人の権利は骨抜きされている。



明治憲法と比べると表面的には民主主義的にみえるが、

内容は
日本国民の権利を守るものではなく、

偽の民主主義であり
「反(アンチ)憲法」である。


 

日本国憲法の場合には、

日本人を
コントロールしようと言う主旨が

意志が

前文テキストのの冒頭から直ぐに始まる。


粗野で暴力的
な感じを受ける。

 

「日本国民は、正当に【選挙】された国会における【代表者】を
通じて行動し・・・とある」

 

これは日本人は大人ではなく、後見人(議員)が必要で、

彼らが日本国民に代わって全てを決める。

日本人に
議員を選ぶその義務だけがある。


国民が国民投票で
自分自身で決める権利はない、自立する

権利はないと解釈ができる。

 

 

この憲法は冒頭から日本人の権利、主権ではなく義務と服従を強調
している。

 

 

憲法とは国民を権力の乱用、悪用から国民を守る法律、

最上のテキスト
でなければならないはずなのに。

 

 

また、日本以外でも、世界中至る所、どの時代でも

なぜ全ての憲法は、

その国の人々の無力を
体系的に組み入れているのであろうか?

 

 

この普遍的とも言えるプロセスには最初の普遍的な原因が

あるように見える。
【世界中の人間は、無知、怠慢、恐怖などから

彼ら自身で憲法を書くことを諦めている
のだ。】


 

 

そして、皆が、議員や大臣、裁判官などの職業政治家たちが憲法を

書き、修正することを受け入れているからだ



 

 

【憲法制定プロセスの放棄がこれらの社会的不正の最初の原因なのである

 

 

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