黄色いベスト運動の到来は資本主義と選挙―代表制システムの弔鐘か?
目標は黄色いベスト運動で市民発議の国民投票を
現憲法に「挿入」することである
クリスマス前に始まった黄色いベスト運動は多くのフランス人に
とってクリスマス・プレゼントのようだった。
もう十四年以上も前からこの日のために「憲法教室」を準備していた人々は、
多分まだ十年はかかるだろうと言っていた。
だが、黄色いベスト運動による
フランスの円状交差点や
高速道路料金所で増えている
憲法制定アトリエ(勉強会)は、
フランス人はチューニジア革命やエジプト革命の時と違い、
準備されてきたのだ。
彼らは憲法制定者になるための練習をして来た。
これはフランス人が政治的に成人になったことを意味する。
彼らは言った。
「我々は我々より上に位置する議員と彼らより劣る我々は、
全てのことに関して依存することを拒否する」。
「我々は意見を言えない?
決定できない?
いや。
我々は来るべき反乱のために、
いつの日か分からないが、
人間は常に反乱を起こしてきた。
我々はその日のために憲法制定を練習する。
その時に、
その機会に、
次の憲法制定議会が議員ではなく、
我々自身で制定するための練習をしている。
何故なら、
プロの政治家が彼ら自身の規則を書くことを我々はもう望まない。
何故なら、
人民の無力で終わるからだ
。もう十分だ。」
練習しながら憲法を読むのが上手くなる。
やかましくなる。
色々なアトリエから分かることは、
人々は全体的に同じようなこと、
実際的には委任の規則を書き、
人々はあまり法律を書くことを好まない。
憲法制定アトリエでは代表者の原則を書き本当のコントロールを
書いている。
中には字を読めない人もいるが決定に加わり彼の意見を言う。
今すごいスピードで変わっている。
未来がどのようになるかわからない。
しかし、数ヶ月前ではこのようではなかった。
まだ10年はかかるであろうと言っていた。
黄色いベストは我々がしなければならないことをしている。
違う立法を考えることができ、
憲法制定レベルがあることを示し、
我々に欠ける人民の強さを制定している。
さらに立法レベルに降り書き始めた。
彼らは立法的な要求に固執するより、
【市民発動の国民投票の憲法制定の要請を最優先する】
ことにし、それを書いている最中だ。
彼らはそれらをしている最中だ。
実に模範的である。
彼らは我々皆がしなければならないことをしているのだ。
フランス人の80%は30年前から意見調査によると、
リックを望んでいる。故に、フランス人民はそれを熱望している。
そして、黄色いベスト運動は、それが我々の最優先であり、
我々自身で書きたいと言っている。
市民発動の国民投票に関する国民の熱望と黄色いベストの
革命の高揚の連結は妨害されなければ、暴力がなければ、
さらに運動内の仲間割れがなければと言う条件で
盛り上がっていくなら全ては変わるであろう。
市民発動の国民投票は代表民主政の否定ではなく、
反対に根本的な改善である。
一世代は次世代に足枷をかけてはならない。
これはトーマス・ジェファーソンが米国憲法の編集の際に言ったことで、
憲法、法律や政治法則の大原理であり、
実際に各世代は規則を再検討する権利がある。
黄色いベストは憲法アトリエを至る所に設置していて、
プラットフォームの功績を設けている。
各々のグループが良い市民発動の国民投票を編集したと思う時は
そこに公表する。
3ヶ月か6ヶ月後に投票できる。
投票により最も良い市民発動の国民投票が出てくるだろう。
この知的で豊かなプラットフォームの功績で、
黄色いベストと他の人々に圧倒的多数で選出されたのは
3つの市民発動の国民投票だった。
200から300の提案があったが、皆同じようなものだった。
望むことは、誰か大統領に値する人が選ばれ、
公共の、一般の利益の概念のある、
我々の考えを本当に代表してくれる人が現れて欲しいと、
夢みたがもちろん無理だろう。
しかし、善意の意図を抱き、職権を持つ人が、
さぁ、6ヶ月の考慮の後に黄色いベストと他の人々が加わり、
市民が3つのリックを選択した、とても興味深いので国民投票にかけ、
これら3つのリックから最も大多数を受けたリックを選択しよう。
これはユートピアではない。
ただ、それに相当する大統領が必要だ。
その代表者は現在の議員ではない。
通りにデモに出る人々は代表者を望まない。
人々はもう何十年も代表者に裏切られ続けていると感じている。
しかし、我々は我々の真の奉仕者になる代表者を選び、
我々の望むリックを制定して【憲法に挿入させる】ことに
全力を尽くすつもりである。
市民発動の国民投票の挿入は
現憲法を不均衡にするので
多くの手続きも変えなければならない。
それは、憲法全体の組み直しになる。
憲法の改正はブロックごとではなく、
条項ごとの改正をする。
ブロックごとに改正すると中に受け入れられないような条項もあり、
嫌々ながら投票することになる。
例えば、1995年の欧州連合の憲法の投票時には
人々は提出された憲法の中に受け入れられない条項もあったが、
それは否定するほどの大きなことではなかったので「はい」投票になった。
その時は条項ごとへの投票ではなく、
ブロック全体への「はい」「いいえ」の選択をせねばならなかった。
事実、我々の腕を常に捻り上げる。
憲法全体の企画に、
ブロックごとに「はい」「いいえ」と答えねばならなく、
ニュアンスを禁じるのは屈辱的である。
また、特別な題名ごとの投票ではなく、それは憲法制定者が決めることだ。
寡頭政治家ではなく人民が決めなければならない。
憲法制定者がそれがブロックか条項か決める。
問題を感じると討論し妥協する。
憲法アトリエではそれらを沢山している。
多くの場合、憲法アトリエでは国会のように口喧嘩などしない。
事実上、憲法制定を書く時にはもっと合意的である。
しかし、時には不合意の時もある。
我々は憲法アトリエで不合意を構成することも学んでいる。
と言うことは、
合意に達しない時は、
2つの選択を書く。
選ばなければならない一連の2つの条項と、
憲法制定者がブロックの条項を決める。