#不正選挙、#憲法
抽選の反論とアテネの民主政治の批判
民主主義思想を守る時、2500年前のアテネは素晴らしかったが、
反論が常に戻ってくる。
最初の反論は、
知っているのか?
アテネの民主主義は奴隷制度だった。
奴隷主義を擁護するのか。
いや。奴隷主義を擁護するのではない。
また、同じくそれは男尊女卑の制度であり、
その制度は全ての女性を遠ざけていた。
人類の半分が政治から遠ざけられていた。
これを全く擁護する気はない。
しかし、この時代には女性は遠ざけられていた。
世界中でそうだった。
これは代表政府制度の後も長く続いた。
今日、これらの女性達全てを加えても、
アテネの民主政治機関はとても良く機能する。
これに対する反論は有効ではない。
また、アテネ人は外国人嫌いで、居留外国人には何の権利も
与えていなかった、という批判もある。
しかし、全てを混同しないことだ。
あの時代には、市民はどんな人間でも受け付けなかった。
だから、金持ちをこさせて安心していた。
彼らは問題なく彼らのビジネスだけをしていた。
裕福な外国人をこさせても、その引き換えに権力を与えなかっのだ。
外国人はそれをよく知っていた。ビジネスのために来たので
問題は無かった。
今日、我々は外人にも権力を与えている。
アテネの民主政治が女性、外国人、奴隷達を遠ざけたから現在の
民主主義には適応しないと言うのは真実ではない。
あのアテネの時代にはこうだったのだ。
奴隷制度は世界中にあった。
故に、これらの反論は、貧者のところで200年間続いた民主制度
の良さを消せない。
大部分のアテネ人は貧しかった。
今日のように、金持ちよりも貧しい者のほうが多かった。
しかし、貧者たちが200年間統治した。
今日、我々は金持ちが大概の権力を持っていると確認する。
これは、ますます多くの特権と不平等を作っている。
金持ちはますます多くの権力を持つ。金持ちは18世紀末、
19世紀、20世紀初めに権力を取ることに成功した。
現在それは拡張している。気狂いじみている。何の限度もない。
現在の普通選挙は偽の普通選挙である
本当の普通選挙は直接民主制で市町村レベルとそれらを繋ぐ
市町村連盟の中に存在する。
我々が普通選挙を金の小判のように擁護しているうちは、
偽の普通選挙である。
本当の普通選挙は、大きな議会で、大きな劇場で、市民館で、
みんなが来て、我々は我々に興味のある問題を隅から隅まで話す。
そして投票する。
これが、本当の普通選挙である。
それは各市民が集まる議会で行われる。
そうだ。
可能ではないだろうか。
我々日本人はは1、268億だ。
アテネでは3万人だった。
アテネ市の大きさは実際的には現在の市町村の大きさである。
すでに沢山の市町村機関があった。
我々は市町村規模で集合して一緒に働く必要がある。
市町村連盟のような大きな規模で、大きな病院を作り、
大きな公共のサービス、etc、を作ることは不可能ではない。
プリュドム(ルネ・フランソワ、1809-1865)は
社会科学の唱導者で連盟の形(自主管理)を提唱していた。
すでによく知られていた政治の現実主義、よく調整された
「連盟」と呼ばれるものである。
プリュドムは連盟をよく研究していた。
権力をどのように良く直接に行使するのかを書いている。
【市町村で取り扱える全てのことを、我々自身で直接に取り扱う。
市町村の議会はそう望んでいる】
本当の民主政では、
代表者に最小の権力与えるために抽選で決める。
しかし、ほんの少しはある。
正確にいうと、彼らが我々の奉仕者であるために、
ほんの少しの権力を与える。
民主政で、市民が権力を持つためには当然抽選である。
議員に権力を与える選挙のようなものではない。
しかし、抽選を人々は恐れる。
しかし。そうではない。全く違う。
民主主義とは、全体の人々を信じることである。
みな一緒になって検討する。
見識のある討議、討論、公の反論の場で。
正確にいうと意見の対立は民主主義の基本的な要素である。
反論の場を設けるということは、これらの決定はしばしば
代表政府よりも卓越している。
汚職と金持ちによる選挙の買収
議員たちは、彼らの選挙キャンペーンを融資した者に縛られて、
または現在の権力を与えた者の命令に従い、
未来の再選のためを考えて、全ての圧力グループやロビーが
周りを回っている。
だが、民会の市民議会を買収することはとても難しい。
しかし、いくつかの論争がある。
ある者は「いや、抽選で任命された公職者を買収することは
とても容易である」と言い、
そこには議論の余地があるが、
全ての公職者の一団を買収することはとても難しいと思われる。
何故なら、常に清兼潔白な人々がいる。
さらに、内部告発者もいる。
故に代表政府以上にもっと複雑になる。
アテネでは金持ちが権力に近づけないように沢山の
「権力に対抗する」方法を発明していたが、
旧体制(アンシャン・レジーム)と同じような現在の代表政府は、
電気会社を買ったり、議員を援助したり、政治のメカニズムを
応用しながら、借金(恩義)のメカニズムで最も金持ちの商人が人々
を買収することを可能にし、金持ちが権力を買収することを許す。
彼らの従順さを買収する。
これらのメカニズムが最終的に彼らに権力を与えるのだ。
資金調達は彼らにとって何でもない。
金は腐りすぎるほどにあるのだ。
彼らが買収する以上に、彼らが融資をした後にもっと多くの金が
入ってくるからだ。
資本主義は代表政府により可能になった
フランスではテルミドールのクーデターで(
フランス革命暦7月26日1794年)その時の
代表政府が政治権力を金持ちに与えたことは、
フランスの歴史上前代未聞であった。
それが資本主義の発展を可能にした。
19世紀、20世紀と200年間の代表政府が正確に
年代順に資本主義の時代に相当する。
もちろん、最初の発芽をそれ以前に感知できるが、
それでもやはり資本主義の全能であり資本主義の三つ子である
「金持ちによる貧しい者たちの虐待、完全な弾圧、100%の」
は同じ時期に相当する。資本主義と代表政府はツインである。
テルミドールで、最も重要なフランス革命者であるロベスピエールの
暗殺で、人民自身が選ばれた者になる、
という最初のフランス革命者たちの夢は終わった。
【直接民主政】を始めたのだが、
テルミドールのクーデターが、その夢を殺した。
テルミドール派こそが、革命に反する代表政府の始まりであった。
資本主義は代表政府により可能になった。
学校で偽の民主主義である「選挙=民主主義」と洗脳され、
【抽選】は絶対教えられなかった。
我々は学校で「選挙は民主主義である」と頭に叩き込まれ、
「抽選」に関しては何も学ばなかった。
「普通選挙」は単に我々の御主人である金持ちのためにあった。
これは「私が値する市民のレベルから、下劣な有権者のレベルに
落ちていること」を意味し
主権があるはずの人民にとって侮辱的なことである。
今我々がしなければならないことは、
これをもはや「民主主義」と呼ばないことである。
資本主義を可能にし、
厳密に反対の意味を持つ政治体制を民主主義と呼ぶことを止めることだ。
何故なら、選挙が続くかぎり、我々はこの状態から抜け出ることはできない。
金持ちは選挙を重視する。
なぜ、選挙を重視するのか。
なぜ、全ての国会議員は選挙を重視するのか。
なぜなら、彼らはみな選挙では何も心配することはないと知っているからだ。
選挙で約束が守られたことはない。
我々は目覚めなければならない。
フランスの場合で、フランス革命で旧体制(アンシャン・レジーム)
から出たばかりで、選挙により、御主人(議員)を指名し、
さぁ、これでよくなる、と考えたことは理解できる。
しかし、この200年間に渡る経験の後で?